オイレンブルク伯爵率いる東アジア遠征隊が祖国プロイセンに向け横浜から出発した日。前年の9月4日に到着して以来150日間の日本滞在だったんだニャ=^_^=
2011年1月31日月曜日
2011年1月30日日曜日
2011年1月29日土曜日
150年前の1月29日は・・・
「日本の細菌学の父」北里柴三郎8歳の誕生日。1885年(明治18年)ドイツのベルリン大学へ留学。「近代細菌学の開祖」ロベルト・コッホに師事して、1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功、1890年(明治23年)には破傷風菌抗毒素を発見して世界の医学界を驚かせたんだって。大使館の近くにある北里研究所を設立して、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んだニャ。門下生からはドンネル先生の愛称で畏れられ、かつ親しまれていたんだって。ドンネル(Donner)はドイツ語で「雷おやじ」って意味ニャんだって=^_^=
そして建築家ヴルヘルム・ベックマン29歳の誕生日。1860年ドイツでヘルマン・エンデとともに設計事務所を開設。官庁集中計画を推進したんだ。1886年来日してるよ。法務省旧本館を設計したんだって。知らなかったニャ=^_^=
2011年1月28日金曜日
2011年1月27日木曜日
えっ、お姉さんも!
今日は東京の目白小学校のみんながやってきたよ。
でも、ちょうど大使館は避難訓練の最中で事務所に入れないニャ〜
どうしよう?
大丈夫!
今日は特別に大使公邸でやるみたい。バーバラが大使にお願いしてあったんだ!
壁の新しい展示「ドイツ人の目を通して見た150年前の日本の風景展」を見ながら坂をのぼって大使公邸へ。
庭を見学して、「日独友好親善の鐘」の前で記念撮影。
この鐘にはゲーテの詩が刻まれてるんだ。
Die Töne verhallen,
aber die Harmonie bleibt.
Goethe
(音は消え去れども、響きは心に残る。)
いつまでも日本とドイツが仲良しであるように願いがこめられてるんだね。
大使公邸の中に入ってバーバラにドイツのことをいろいろと質問。
すると、古いバージョンの『ドイツの実情』を持ってる生徒さんが。
「あれ、どうして『ドイツの実情』持ってるの?」
「え、お姉ちゃんから借りたの。」
「?」
「2年前、大使館に来たんです。」
「!」
「僕のお姉ちゃんも来ました!」
「!!」
そういえば2年前の今日、目白小学校のみんなが訪問してたっけ。
そうそう、ミヒャエルが案内したんだ!
今日の目白小学校のみんなもとっても良くドイツのこと調べてて、あっという間に時間が経ったみたい。
バーバラもとっても楽しそうだったニャ。
避難訓練が終わってたので事務所も見学。
アトリウムの「わたしのドイツ」の作品を見てもらったよ。そしたら今度描いてくれるって!
楽しみだニャ=^_^=
150年前の1月27日は・・・
ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世の2人目の王妃マリア・アンナ・フォン・バイエルン56歳の誕生日ニャ=^_^=
そしてジョン万次郎34歳の誕生日。本名は中濱萬次郎(なかはま まんじろう)。黒船来航で日米和親条約の締結に尽力したニャ。『ジョン萬次郎漂流記』で有名だニャ=^_^=
そして大日本帝国海軍軍人東郷平八郎13歳の誕生日。1934年に亡くなった時、ドイツでは「東洋のティルピッツ(ドイツ海軍の父)が逝去した」とその死を惜しんだんだニャ=^_^=
そしてもう一人、第9代プロイセン王国国王・第3代ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世2歳の誕生日。ヴィルヘルム2世は伸ばした口髭を油や蝋で固めて左右を上へ跳ね上げて逆「へ」の字にしてたんだ。そういう髭のことを「カイゼル髭」って言うよね。「カイゼル」はドイツ語で「皇帝」という意味。ヴィルヘルム2世が独特な髭を蓄えていたからそう呼ばれるようになったんだニャ=^_^=
2011年1月26日水曜日
2011年1月25日火曜日
150年前の1月25日は・・・
2011年1月24日月曜日
記念切手と記念スタンプ
150年前の1月24日は・・・
「日独交流150周年」のきっかけとなった、日本とプロイセンが修好通商条約を締結した日だニャ=^_^=
今日は「日独交流150周年」を記念して式典が開かれるんだ。50年前の1961年(昭和36年)1月には「100周年」を祝う式典が開かれたみたい。
「100周年」の当時の様子を新聞ではこんな風にとりあげてるニャ=^_^=
ア首相からメッセージ 日独修好百年祭
【ボン二十一日発=AP】アデナウアー西独首相は二十一日、日独修好百年祭に当たり、池田首相に次のようなメッセージを送った。
▷日独通商修好条約いらい、双方の関係は着実に深まり、みのりあるものとなった。第二次世界大戦の終結とともに、両国は苦い経験から立ち上がり、その伝統的友好は新しく開花した。昨年私は美しい貴国を訪れたさい、この友好のあかしの数々を受け取った。
▷日本の経済、文化両面での数々の業績は、われわれすべてが嘆賞するところである。私もまた深い感銘を受けた。西独を訪れるすべての日本人は、日本がどれほど高く評価されているかを感じ取ることだろう。私は両国の友好が今後も続き、両国共通の目的に役立つことを念願する。
(1961年 昭和36年 1月22日 日曜日 朝日新聞夕刊 1面)
西独首相と祝電交換 日本・プロイセン修好通商条約百年記念日
政府は二十四日の日本・プロイセン修好通商条約締結百年記念日に際し池田首相とアデナウアー・ドイツ連邦共和国首相が祝電の交換を行うと二十三日発表した。池田首相からの祝電の内容(要旨)は次の通り。
日本国民は日ごろからドイツおよびドイツ国民に対し親愛の情と尊敬の念を抱いている。しかし、この密接な友好関係にあるドイツ国民の祖国が今なお東西にわかれていることは日本国民の深く憂えるところであり、われわれ全日本国民は心から平和と自由のドイツ統一の日が来ることを希望する。
(1961年 昭和36年 1月24日 火曜日 朝日新聞朝刊 2面)
日独友好百年 祝賀のつどい
日独友好百年を祝う会が日独協会(高橋竜太郎会長)の主催で二十六日午後一時すぎから東京・目黒の八芳園で開かれた。池田首相、清瀬衆院議長、横田最高裁長官をはじめ、二十四日来日した西独のゼーボーム交通相、ハース大使らと在日各国大公使館員ら約三百人が顔を見せた。
(1961年 昭和36年 1月27日 金曜日 朝日新聞朝刊 8面)
150周年おめでとニャ!=^_^=
2011年1月23日日曜日
150年前の1月23日は・・・
2011年1月22日土曜日
2011年1月21日金曜日
2011年1月20日木曜日
150年前の日本の風景
150年前の1月20日は・・・
プロイセンの通訳としても活躍したアメリカの通弁官(通訳)のヒュースケンの29回目の誕生日になるはずだったけど・・・5日前の15日に亡くなったことはこの前書いたニャ。アムステルダム生まれのオランダ人だったけど米国に渡り帰化したんだ。1856年に米国の初代総領事タウンゼント・ハリスに雇われて来日してハリスの秘書兼通訳を務めたんだニャ。
【そして建築家の妻木頼黄(よりなか)2歳の誕生日。官庁集中計画でドイツに留学してるんだ。昨年クリスマスマーケットが行われた横浜赤レンガ倉庫は彼の作品ニャんだって=^_^=】 ←妻木頼黄の誕生日は2月22日だったニャ。1月20日というのは旧暦で間違えちゃた。ごめんニャさい=^_^;=
2011年1月19日水曜日
150年前の1月19日は・・・
2011年1月18日火曜日
2011年1月17日月曜日
光林寺
150年前の1月17日は・・・
2011年1月16日日曜日
150年前の1月16日は・・・
2011年1月15日土曜日
150年前の1月15日は・・・
2011年1月14日金曜日
150年前の1月14日は・・・
2011年1月13日木曜日
150年前の1月13日は・・・
草津温泉を大絶賛して世界に紹介したエルヴィン・フォン・ベルツ12歳の誕生日。1876年(明治9年)27歳の時に来日。「お雇い外国人」として東京医学校(現在の東京大学医学部)で27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くしたんだ。そしてベルツが書いた手紙や日記が明治時代初期の日本の様子を知る貴重な資料となっているんだ。
親友のハインリッヒ・フォン・シーボルト(シーボルトの次男)と同じで1881年には日本人女性と結婚。ベルツの奥さんの名前が「花」でシーボルトの奥さん「ハナ」。わぁ、読み方が一緒だ!
「蒙古斑」の命名、岩倉具視に「癌」宣告、手荒れに効く「ベルツ水」(グリセリンカリ液)処方等、功績は特大!草津町では「ベルツ記念館」を開設してるし、ドイツの製薬会社ベーリンガーインゲルハイム社は1964年に「ベルツ賞」を設立して最近はドイツ大使公邸で表彰式を行なってるんだ。スゴイ人だニャ=^_^=
2011年1月12日水曜日
Glück
ゲルマニア
「ドイツビヤレストラン ゲルマニア」(中央区銀座5-9-17 あづまビル2F)に行ったよ。
代表取締り役で素敵なシェフの衣装の鴉(からす)隆司さんはドイツ語で熱くラースに語ってたよ。昭和30年開店の「ゲルマニア」には歌舞伎役者さんもよく来るんだって。アップライトピアノがステキだニャ=^_^=
アルテリーベ
「ドイツミュージックレストラン アルテリーベ」(港区新橋2-12-5 池伝ビルB1)に行ったよ。
店内には素敵なステージがあって、そこにはグランドピアノも。ドイツの料理を楽しみながら生演奏も楽しめるみたい!
「アルテ(ALTE)」は「古い」、「リーベ(LIEBE)」は「恋、恋人」という意味。
ということは「古い恋」。
ということは「初恋」もあり?
ちょっとロマンティックじゃニャい?=^_^;=
ウェバーハウス
「オーストリアとドイツ料理 ウェバーハウス」(港区赤坂2-12-11 シャルマン赤坂2F)に行ったよ。
どっちかというとオーストリア料理が中心みたいだけど、「日独交流150周年」のPRをお願いするとこころよく引き受けてくれたよ。よろしくお願いしますニャ=^_^=
バーンズ バー
「バーンズ バー (BERND’S BAR)」(港区六本木5-18-1 ピュア六本木2F)に行ったよ。
六本木ではもう有名なドイツレストランだね。店内には有名人の写真やサインがいっぱいだニャ=^_^=
ラインガウ 青山店
「ドイツワインケラー ラインガウ 青山店」(渋谷区渋谷2-12-12 三貴ビルB1)に行ったよ。
「ラインガウ(Rheingau)」はドイツに14あるワイン栽培地域のひとつ。ヘッセン州のライン川のそばにあるんだ。「ガウ」は「小国」。ドイツはビールだけじゃなくてワインも美味しいよ!
四谷に「ドイツワインケラー ラインガウ 四谷店」(新宿区荒木町3-23 国都マンション1F)もあるよ!
美味しいドイツのワイン、いかがかニャ=^_^=
放心亭
「BEER膳 放心亭」(千代田区神田神保町1-1 三省堂書店B1)に行ったよ。
このお店、以前は「ローターオクセン」という名前だったんだ。「ローターオクセン」はハイデルベルクの学生酒場で「赤い牛」って意味ニャんだって=^_^=
フランツィスカーナー 日本橋
「フランツィスカーナー 日本橋」(中央区日本橋3-8-16 ぶよおビルB1F)に行ったよ。
「フランツィスカーナー(Franziskaner)はドイツの有名なヴァイツェンビア。HPに行ってみるといきなり年齢認証が。ビールを飲める年齢かどうかチェックするところはさすがビール大国ドイツだニャ=^_^=
ローマイヤ
「レストラン ローマイヤ」(中央区銀座8-8-5 太陽ビル2F)に行ったよ。
階段を上ると太鼓をたたく大きなロゴマークがお出迎え。「ローマイヤ」と言えばロースハムで有名だね。落ち着いた店内は歴史の深さを感じさせるニャ=^_^=
バーデンバーデン
クライネヒュッテ
「ドイツビール クライネヒュッテ」(渋谷区代々木2-11-5 アクティブ新宿ビルB1)に行ったよ。
「クライネ」はドイツ語で「小さい」、「ヒュッテ」は登山者やスキーヤーなどのための山小屋のこと。入口や店内は「クライネヒュッテ」そのもの。新宿駅南口から近いから行きやすいニャ=^_^=
カイテル
「ドイツレストラン カイテル」(新宿区新宿5-6-4)に行ったよ。
ドイツカラーの看板は大通りから少し入ったとこにあるお店をすぐに見つけさせてくれたよ。オーナーシェフのカイテル・ハルトムートさんは東京ヒルトンホテル、京王プラザホテルを経てこのお店を開業。45年以上も日本で活躍してるんだ。お店の外にはご自身が撮ったドイツの写真やデコレーションしたドイツワインボトルと並んで日本酒の瓶も。大好きニャんだって=^_^=
葡萄屋(閉店)
ジェーエス・レネップ
J’s ベッカライ
アイヒェン プラッツ
「ドイツビールの欧風居酒屋 アイヒェン プラッツ」(港区赤坂5-5-11 赤坂通り50番ビル2F)に行ったよ。
代表取締役の老子剛さんとガッチリ握手。南ドイツを思わせる店内は落ち着くニャ~=^_^=
シュタンツェル大使も来たことあるんだって!
ツム・アインホルン
「ドイツ料理 ツム・アインホルン」(港区六本木1-9-9 六本木ファーストビルB1F)に行ったよ。
シェフの野田浩資さんは昨年秋に『野田シェフのドイツ料理』という本を出したんだって。ドイツ料理をいろんな方向からとりあげ紹介してるんだ。ドイツ料理がドイツ国家やドイツ文化に影響してるんだって。ベートーヴェンが好きだったドイツの郷土料理って何だと思う?
「日独交流150周年」記念特別イベントも企画中。楽しみだニャ=^_^=
ザート商会

(写真:HPから)
今日はラースが東京にあるドイツレストランを回るので内緒で付いてきちゃった!
シュタンツェル大使から「日独交流150周年」のPRをするように言われたみたい。都内のドイツレストランはYoung Germanyの「とっておきドイツレストラン 東京とその近郊でドイツ料理が食べられるお店紹介」に紹介されてるのを参考にピックアップ。ポスターやチラシ、パンフレットを用意して出発進行!
まず行ったのが「株式会社 ザート商会」(港区愛宕2-5-1 愛宕グリーンヒルズMORIタワー5F)。
輸入事業や美味しいヴァイツェンビールのお店「フランツィスカーナー」をはじめ直営レストランを通して今までのドイツとこれからの新しいドイツ文化を紹介してるんだ。取引のあるレストランにまとめて配ってくれるみたい。とっても助かるにゃ=^_^=
よろしくお願いしまーす!
2011年1月11日火曜日
150年前の1月11日は・・・
2011年1月10日月曜日
150年前の1月10日は・・・
2011年1月9日日曜日
150年前の1月9日は・・・
2011年1月8日土曜日
150年前の1月8日は・・・
指揮者でピアニストのハンス・フォン・ビューロー31歳の誕生日。ビューローはクララ・シューマンのお父さんのフリードリヒ・ヴィークにピアノを習っててその演奏はフランツ・リストに賞賛されたほど。そしてビューローは職業指揮者の先駆けとしても有名。それまでのオーケストラの指揮は作曲家自身がしてたんだ。
1887年には82年に創立されたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任してこのオーケストラを成長させたんだ。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』や『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を初演、フランツ・リストの娘コジマと結婚(のちに離婚)、ブラームスの交響曲第4番の初演時に、ブラームスが指揮、ビューローが大太鼓、リヒャルト・シュトラウスがトライアングルを担当といったエピソードがあって、音楽ファンにはたまらないニャ=^_^=
2011年1月7日金曜日
150年前の1月7日は・・・
2011年1月6日木曜日
クリスマス気分も・・・
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