2011年1月15日土曜日

150年前の1月15日は・・・


アメリカの通弁官(通訳)のヒュースケンが亡くなった日。
オイレンブルク伯爵率いる東方アジア遠征団が1860年秋に来日すると、フランスの代理公使からは修好条約交渉への予備知識を、アメリカの公使からは通訳のヨハネス・ヒュースケンを自由に使って良いとの申し出を受けたりと、既に条約を結んだ欧米の国々の協力を得ることができたんだ。
ヒュースケンはプロイセンの通訳としても活躍、条約締結の大きな助けになったんだ。でも条約締結(1861年1月24日)を目前に、プロイセンの宿泊所近くの赤羽根橋のたもとで、数人に刺されて命を落としたんだ。オイレンブルク伯爵はとても大きなショックを受けたんだ。悲しいニャ・・・

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