2011年1月31日月曜日

150年前の1月31日は・・・


オイレンブルク伯爵率いる東アジア遠征隊が祖国プロイセンに向け横浜から出発した日。前年の9月4日に到着して以来150日間の日本滞在だったんだニャ=^_^=

2011年1月30日日曜日

150年前の1月30日は・・・


作曲家でヴァイオリニストのチャールズ・マーティン・レフラーの生まれた日。ベルリン近くのシェーネベルクに生まれたけど活躍したのはアメリカだったんだニャ=^_^=

2011年1月29日土曜日

150年前の1月29日は・・・


「日本の細菌学の父」北里柴三郎8歳の誕生日。1885年(明治18年)ドイツのベルリン大学へ留学。「近代細菌学の開祖」ロベルト・コッホに師事して、1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功、1890年(明治23年)には破傷風菌抗毒素を発見して世界の医学界を驚かせたんだって。大使館の近くにある北里研究所を設立して、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んだニャ。門下生からはドンネル先生の愛称で畏れられ、かつ親しまれていたんだって。ドンネル(Donner)はドイツ語で「雷おやじ」って意味ニャんだって=^_^=

そして建築家ヴルヘルム・ベックマン29歳の誕生日。1860年ドイツでヘルマン・エンデとともに設計事務所を開設。官庁集中計画を推進したんだ。1886年来日してるよ。法務省旧本館を設計したんだって。知らなかったニャ=^_^=

2011年1月28日金曜日

150年前の1月28日は・・・


作曲家ヴィクトル・ネスラー20歳の誕生日。メルヒェン・オペラの作曲家でグリム童話でも有名な「ハーメルンの笛吹き男」などが代表作。聴いてみたいニャ=^_^=

2011年1月27日木曜日

えっ、お姉さんも!


今日は東京の目白小学校のみんながやってきたよ。
でも、ちょうど大使館は避難訓練の最中で事務所に入れないニャ〜
どうしよう?

大丈夫!

今日は特別に大使公邸でやるみたい。バーバラが大使にお願いしてあったんだ!
壁の新しい展示「ドイツ人の目を通して見た150年前の日本の風景展」を見ながら坂をのぼって大使公邸へ。
庭を見学して、「日独友好親善の鐘」の前で記念撮影。
この鐘にはゲーテの詩が刻まれてるんだ。

Die Töne verhallen,
aber die Harmonie bleibt.
Goethe
(音は消え去れども、響きは心に残る。)

いつまでも日本とドイツが仲良しであるように願いがこめられてるんだね。

大使公邸の中に入ってバーバラにドイツのことをいろいろと質問。
すると、古いバージョンの『ドイツの実情』を持ってる生徒さんが。

「あれ、どうして『ドイツの実情』持ってるの?」
「え、お姉ちゃんから借りたの。」
「?」
「2年前、大使館に来たんです。」
「!」
「僕のお姉ちゃんも来ました!」
「!!」

そういえば2年前の今日、目白小学校のみんなが訪問してたっけ。
そうそう、ミヒャエルが案内したんだ!
今日の目白小学校のみんなもとっても良くドイツのこと調べてて、あっという間に時間が経ったみたい。
バーバラもとっても楽しそうだったニャ。

避難訓練が終わってたので事務所も見学。
アトリウムの「わたしのドイツ」の作品を見てもらったよ。そしたら今度描いてくれるって!
楽しみだニャ=^_^=

150年前の1月27日は・・・


ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世の2人目の王妃マリア・アンナ・フォン・バイエルン56歳の誕生日ニャ=^_^=

そしてジョン万次郎34歳の誕生日。本名は中濱萬次郎(なかはま まんじろう)。黒船来航で日米和親条約の締結に尽力したニャ。『ジョン萬次郎漂流記』で有名だニャ=^_^=

そして大日本帝国海軍軍人東郷平八郎13歳の誕生日。1934年に亡くなった時、ドイツでは「東洋のティルピッツ(ドイツ海軍の父)が逝去した」とその死を惜しんだんだニャ=^_^=

そしてもう一人、第9代プロイセン王国国王・第3代ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世2歳の誕生日。ヴィルヘルム2世は伸ばした口髭を油や蝋で固めて左右を上へ跳ね上げて逆「へ」の字にしてたんだ。そういう髭のことを「カイゼル髭」って言うよね。「カイゼル」はドイツ語で「皇帝」という意味。ヴィルヘルム2世が独特な髭を蓄えていたからそう呼ばれるようになったんだニャ=^_^=

2011年1月26日水曜日

150年前の1月26日は・・・


植物学者アントン・ド・バリー30歳の誕生日。「植物病理学」の父と言われ、近代的な菌類学の基礎を築いたんだニャ=^_^=

2011年1月25日火曜日

150年前の1月25日は・・・


数学者ヘルマン・アマンドゥス・シュワルツ18歳の誕生日。「複素解析」に関する業績で有名ニャんだって。・・・「複素解析」ってニャんだ?=^_^;=

そして文人画家で儒教者の富岡鉄斎24歳の誕生日。日本最後の文人ニャんだって=^_^=

そして今なお熱烈なファンが多い20世紀を代表する指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが生まれる25年前の日。カラヤンの前にベルリンフィルの音楽監督を務めたんだニャ=^_^=

2011年1月24日月曜日

記念切手と記念スタンプ


「日独交流150周年」を記念して日本で今日、記念切手が販売されたよ(ドイツでは2月だって!)。
今なら記念スタンプも押してもらえるんだ。
そして写真の上のスタンプは今日(発売日)限定!
2005年の「ドイツ年」の時も記念切手が販売されて記念スタンプをゲットしたけど、発売日限定スタンプは押せなかったからどうしても欲しかったニャ。
ネットで中央郵便局で押してもらえると思って行ったら、中央郵便局の場所が変わってて、おまけにスタンプは「京橋郵便局へどうぞ!」ですって(>_<)
エピソードも記念の一部だニャ=^_^;=

150年前の1月24日は・・・


「日独交流150周年」のきっかけとなった、日本とプロイセンが修好通商条約を締結した日だニャ=^_^=

今日は「日独交流150周年」を記念して式典が開かれるんだ。50年前の1961年(昭和36年)1月には「100周年」を祝う式典が開かれたみたい。
「100周年」の当時の様子を新聞ではこんな風にとりあげてるニャ=^_^=

ア首相からメッセージ   日独修好百年祭
【ボン二十一日発=AP】アデナウアー西独首相は二十一日、日独修好百年祭に当たり、池田首相に次のようなメッセージを送った。
▷日独通商修好条約いらい、双方の関係は着実に深まり、みのりあるものとなった。第二次世界大戦の終結とともに、両国は苦い経験から立ち上がり、その伝統的友好は新しく開花した。昨年私は美しい貴国を訪れたさい、この友好のあかしの数々を受け取った。
▷日本の経済、文化両面での数々の業績は、われわれすべてが嘆賞するところである。私もまた深い感銘を受けた。西独を訪れるすべての日本人は、日本がどれほど高く評価されているかを感じ取ることだろう。私は両国の友好が今後も続き、両国共通の目的に役立つことを念願する。
(1961年 昭和36年 1月22日 日曜日 朝日新聞夕刊 1面)

西独首相と祝電交換   日本・プロイセン修好通商条約百年記念日
政府は二十四日の日本・プロイセン修好通商条約締結百年記念日に際し池田首相とアデナウアー・ドイツ連邦共和国首相が祝電の交換を行うと二十三日発表した。池田首相からの祝電の内容(要旨)は次の通り。
日本国民は日ごろからドイツおよびドイツ国民に対し親愛の情と尊敬の念を抱いている。しかし、この密接な友好関係にあるドイツ国民の祖国が今なお東西にわかれていることは日本国民の深く憂えるところであり、われわれ全日本国民は心から平和と自由のドイツ統一の日が来ることを希望する。
(1961年 昭和36年 1月24日 火曜日 朝日新聞朝刊 2面)

日独友好百年 祝賀のつどい
日独友好百年を祝う会が日独協会(高橋竜太郎会長)の主催で二十六日午後一時すぎから東京・目黒の八芳園で開かれた。池田首相、清瀬衆院議長、横田最高裁長官をはじめ、二十四日来日した西独のゼーボーム交通相、ハース大使らと在日各国大公使館員ら約三百人が顔を見せた。
(1961年 昭和36年 1月27日 金曜日 朝日新聞朝刊 8面)

150周年おめでとニャ!=^_^=

2011年1月23日日曜日

150年前の1月23日は・・・


西郷隆盛33歳の誕生日。えっ、説明?いらニャいよね?!
西郷サンは肥満を治そうとして大学東校の医学教師として来日した御雇い外国人のドイツ人軍医テオドール・ホフマン(1837年-1894年)に治療を受けてたんだって=^_^=

2011年1月22日土曜日

150年前の1月22日は・・・


哲学者で神学者のエデュアルド・ツェラー47歳の誕生日。ハイデルベルク大学等で教鞭をとったんだニャ=^_^=

2011年1月21日金曜日

150年前の1月21日は・・・


プロテスタント教会の牧師でカイザースヴェルトでの社会事業(奉仕)の創始者であるテオドール・フリードナー61歳の誕生日。1952年に切手にもなってるニャ=^_^=

2011年1月20日木曜日

150年前の日本の風景


大使館の壁がまたまた模様替えみたい。
今度は「日独交流150周年」を記念して、150年前の日本の風景画を展示するみたい。これはオイレンブルク伯爵と一緒にプロイセンから日本にやって来た東アジア遠征隊の一員で画家のアルヘルト・ベルクが描いたもの。同じ場所の現在の写真も一緒にあるから比べてみると面白いニャ!

朝からの作業は夕方までかかって大変だったみたい。暗くなっちゃったから明日またゆっくり見るニャ。みんなも見に来てニャ=^_^=

150年前の1月20日は・・・


プロイセンの通訳としても活躍したアメリカの通弁官(通訳)のヒュースケンの29回目の誕生日になるはずだったけど・・・5日前の15日に亡くなったことはこの前書いたニャ。アムステルダム生まれのオランダ人だったけど米国に渡り帰化したんだ。1856年に米国の初代総領事タウンゼント・ハリスに雇われて来日してハリスの秘書兼通訳を務めたんだニャ。

【そして建築家の妻木頼黄(よりなか)2歳の誕生日。官庁集中計画でドイツに留学してるんだ。昨年クリスマスマーケットが行われた横浜赤レンガ倉庫は彼の作品ニャんだって=^_^=】 ←妻木頼黄の誕生日は2月22日だったニャ。1月20日というのは旧暦で間違えちゃた。ごめんニャさい=^_^;=

2011年1月19日水曜日

150年前の1月19日は・・・


作家で詩人のマックス・ベーヴァー(Max Bewer)と考古学者のブルーノ・ザウアー(Bruno Sauer)の生まれた日。二人とも初めて聞いた名前だニャ=^_^;=

ところで日本で「119番」は消防への緊急電話番号だけど、ドイツでは何番だと思う?
答えは「112番」。
警察へは日本と同じ「110番」ニャんだって=^_^=

2011年1月18日火曜日

150年前の1月18日は・・・


ヴェルサイユ宮殿でプロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位してドイツ帝国が成立する10年前の日。1918年11月9日まで続いたんだニャ=^_^=

2011年1月17日月曜日

光林寺


おとといの15日はプロイセンの通訳としても活躍したヒュースケンが亡くなった日。文化部長のゲーリックさんはお墓参りに行ったんだ。お墓は大使館の近くにある光林寺の中にあって、他の大使館の人もお参りに来たみたい。お花の他にシュタインヘイガーもお供えしてあるニャ。こんなに近くにお墓があるとは知らなかったニャ=^_^=

150年前の1月17日は・・・


外交官オットマール・フォン・モール15歳の誕生日。1887年より89年にかけて奥さんとともに東京の宮内省の顧問になって、ヨーロッパの宮廷儀式を導入したんだニャ=^_^=

そして動物学者アウグスト・ヴァイスマン27歳の誕生日。生物学者エルンスト・マイヤーは彼をチャールズ・ダーウィンに次いで19世紀で二番目に重要な進化理論家だと言ってるニャ=^_^=

2011年1月16日日曜日

150年前の1月16日は・・・


初代外務大臣の井上馨(かおる)25歳の誕生日。鹿鳴館を建設したり、パリやベルリンに劣らぬ首都を建設しようと官庁集中計画を進めたんだ。その時井上を支えたのがアレクサンダー・フォン・シーボルトとハインリッヒ・フォン・シーボルトであの有名なシーボルトの息子たちニャんだって=^_^=

そして『資本論』で有名なカール・マルクスの6番目の娘エレノア・マルクス6歳の誕生日。社会主義活動家、文学翻訳家としてイギリスで活躍したんだ。エレノアが生まれた時マルクスはロンドンに亡命していたんだニャ=^_^=

2011年1月15日土曜日

150年前の1月15日は・・・


アメリカの通弁官(通訳)のヒュースケンが亡くなった日。
オイレンブルク伯爵率いる東方アジア遠征団が1860年秋に来日すると、フランスの代理公使からは修好条約交渉への予備知識を、アメリカの公使からは通訳のヨハネス・ヒュースケンを自由に使って良いとの申し出を受けたりと、既に条約を結んだ欧米の国々の協力を得ることができたんだ。
ヒュースケンはプロイセンの通訳としても活躍、条約締結の大きな助けになったんだ。でも条約締結(1861年1月24日)を目前に、プロイセンの宿泊所近くの赤羽根橋のたもとで、数人に刺されて命を落としたんだ。オイレンブルク伯爵はとても大きなショックを受けたんだ。悲しいニャ・・・

2011年1月14日金曜日

150年前の1月14日は・・・


アルベルト・シュバイツァーが生まれる14年前の日。
シュバイツァーって何をした人?
音楽家?
お医者さん?
全部正解!その他にもいろいろ、哲学者やオルガニストとしても有名だね。
アフリカでの医療活動は特に有名で1953年にはノーベル平和賞を受賞。
シュバイツァーの好物が風月堂のゴーフルだったって知ってたかニャ=^_^=

2011年1月13日木曜日

150年前の1月13日は・・・


草津温泉を大絶賛して世界に紹介したエルヴィン・フォン・ベルツ12歳の誕生日。1876年(明治9年)27歳の時に来日。「お雇い外国人」として東京医学校(現在の東京大学医学部)で27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くしたんだ。そしてベルツが書いた手紙や日記が明治時代初期の日本の様子を知る貴重な資料となっているんだ。

親友のハインリッヒ・フォン・シーボルト(シーボルトの次男)と同じで1881年には日本人女性と結婚。ベルツの奥さんの名前が「花」でシーボルトの奥さん「ハナ」。わぁ、読み方が一緒だ!

「蒙古斑」の命名、岩倉具視に「癌」宣告、手荒れに効く「ベルツ水」(グリセリンカリ液)処方等、功績は特大!草津町では「ベルツ記念館」を開設してるし、ドイツの製薬会社ベーリンガーインゲルハイム社は1964年に「ベルツ賞」を設立して最近はドイツ大使公邸で表彰式を行なってるんだ。スゴイ人だニャ=^_^=

2011年1月12日水曜日

Glück


「Glück」(千代田区三崎町3-10-4 千代田ビル1F)に行ったよ。
今日の最後のお店は緑地にドイツカラーのラインがオシャレに入った素敵な看板が目印。シェフの佐藤宗樹さんとガッチリ握手して「日独交流150周年」のPRをお願いしたよ。

朝の10時にスタートして夕方6時過ぎまでかかったけど色んなドイツレストランに行けて楽しかったニャ!今度は是非食事をしたいニャ~=^_^=
みんなも是非今日紹介したドイツレストランに行ってドイツ料理を楽しんでニャ=^_^=

ゲルマニア


「ドイツビヤレストラン ゲルマニア」(中央区銀座5-9-17 あづまビル2F)に行ったよ。
代表取締り役で素敵なシェフの衣装の鴉(からす)隆司さんはドイツ語で熱くラースに語ってたよ。昭和30年開店の「ゲルマニア」には歌舞伎役者さんもよく来るんだって。アップライトピアノがステキだニャ=^_^=

アルテリーベ


「ドイツミュージックレストラン アルテリーベ」(港区新橋2-12-5 池伝ビルB1)に行ったよ。
店内には素敵なステージがあって、そこにはグランドピアノも。ドイツの料理を楽しみながら生演奏も楽しめるみたい!
「アルテ(ALTE)」は「古い」、「リーベ(LIEBE)」は「恋、恋人」という意味。
ということは「古い恋」。
ということは「初恋」もあり?
ちょっとロマンティックじゃニャい?=^_^;=

ウェバーハウス


「オーストリアとドイツ料理 ウェバーハウス」(港区赤坂2-12-11 シャルマン赤坂2F)に行ったよ。
どっちかというとオーストリア料理が中心みたいだけど、「日独交流150周年」のPRをお願いするとこころよく引き受けてくれたよ。よろしくお願いしますニャ=^_^=

バーンズ バー


「バーンズ バー (BERND’S BAR)」(港区六本木5-18-1 ピュア六本木2F)に行ったよ。
六本木ではもう有名なドイツレストランだね。店内には有名人の写真やサインがいっぱいだニャ=^_^=

ラインガウ 青山店


「ドイツワインケラー ラインガウ 青山店」(渋谷区渋谷2-12-12 三貴ビルB1)に行ったよ。
「ラインガウ(Rheingau)」はドイツに14あるワイン栽培地域のひとつ。ヘッセン州のライン川のそばにあるんだ。「ガウ」は「小国」。ドイツはビールだけじゃなくてワインも美味しいよ!
四谷に「ドイツワインケラー ラインガウ 四谷店」(新宿区荒木町3-23 国都マンション1F)もあるよ!
美味しいドイツのワイン、いかがかニャ=^_^=

PAUKE


「German Restorant PAUKE」(千代田区四番町4-8 野村ビルB1)に行ったよ。
伝統的なドイツ料理の他に音楽やイベントがあって楽しそうだニャ=^_^=

放心亭


「BEER膳 放心亭」(千代田区神田神保町1-1 三省堂書店B1)に行ったよ。
このお店、以前は「ローターオクセン」という名前だったんだ。「ローターオクセン」はハイデルベルクの学生酒場で「赤い牛」って意味ニャんだって=^_^=

フランツィスカーナー 日本橋


「フランツィスカーナー 日本橋」(中央区日本橋3-8-16 ぶよおビルB1F)に行ったよ。
「フランツィスカーナー(Franziskaner)はドイツの有名なヴァイツェンビア。HPに行ってみるといきなり年齢認証が。ビールを飲める年齢かどうかチェックするところはさすがビール大国ドイツだニャ=^_^=

ローマイヤ


「レストラン ローマイヤ」(中央区銀座8-8-5 太陽ビル2F)に行ったよ。
階段を上ると太鼓をたたく大きなロゴマークがお出迎え。「ローマイヤ」と言えばロースハムで有名だね。落ち着いた店内は歴史の深さを感じさせるニャ=^_^=

バーデンバーデン


「バーデンバーデン」(千代田区有楽町2-1-8)に行ったよ。
ドイツ南部のバーデン=ヴュルテンベルク州にバーデン=バーデンという都市があって温泉で有名なんだ。バーデン(Baden)に「入浴」という意味があるくらい・・・あ、ビールと関係ニャいか=^_^;=
「バーデンバーデン」は老舗のドイツビアホール。お店はさっきお邪魔した「ドイツ居酒屋 ジャーエス・レネップ」さんのお隣にあるんだ。南ドイツのバイエルン州ミュンヘンのビアホール「ホフブロイハウス」の看板が目印だニャ=^_^=

クライネヒュッテ


「ドイツビール クライネヒュッテ」(渋谷区代々木2-11-5 アクティブ新宿ビルB1)に行ったよ。
「クライネ」はドイツ語で「小さい」、「ヒュッテ」は登山者やスキーヤーなどのための山小屋のこと。入口や店内は「クライネヒュッテ」そのもの。新宿駅南口から近いから行きやすいニャ=^_^=

カイテル


「ドイツレストラン カイテル」(新宿区新宿5-6-4)に行ったよ。
ドイツカラーの看板は大通りから少し入ったとこにあるお店をすぐに見つけさせてくれたよ。オーナーシェフのカイテル・ハルトムートさんは東京ヒルトンホテル、京王プラザホテルを経てこのお店を開業。45年以上も日本で活躍してるんだ。お店の外にはご自身が撮ったドイツの写真やデコレーションしたドイツワインボトルと並んで日本酒の瓶も。大好きニャんだって=^_^=

葡萄屋(閉店)


「創作ドイツ料理 葡萄屋」(港区赤坂7-5-56 ドイツ文化会館1F)に行ったよ。
ドイツ文化センターの1階にあるから知ってる人も多いよね!ドイツ文化の集合施設の中にあるからPRにはモッテコイ!
ご協力よろしくお願いしますニャ=^_^=

ジェーエス・レネップ


「ドイツ居酒屋 ジャーエス・レネップ」(千代田区有楽町2-1-8)に行ったよ。
突然の訪問だったけど店長の香川孝敬さんは気持ち良く「日独交流150周年」のPRを引き受けてくれたよ。
帝国ホテル近くのJR高架下はここだけドイツみたいだニャ=^_^=

J’s ベッカライ


「ドイツ居酒屋 J’s ベッカライ 新橋店」(千代田区内幸町1-5-3 新幸橋ビルB1F)に行ったよ。
地下1階にあるお店は通りから階段で下りてすぐ。ドイツカラーの看板や旗ですぐわかるよ。
店長代理の小島康史さんがすぐ近くにもう一軒ドイツ居酒屋があるって教えてくれたから行ってみるニャ=^_^=

アイヒェン プラッツ


「ドイツビールの欧風居酒屋 アイヒェン プラッツ」(港区赤坂5-5-11 赤坂通り50番ビル2F)に行ったよ。
代表取締役の老子剛さんとガッチリ握手。南ドイツを思わせる店内は落ち着くニャ~=^_^=
シュタンツェル大使も来たことあるんだって!

ツム・アインホルン



「ドイツ料理 ツム・アインホルン」(港区六本木1-9-9 六本木ファーストビルB1F)に行ったよ。
シェフの野田浩資さんは昨年秋に『野田シェフのドイツ料理』という本を出したんだって。ドイツ料理をいろんな方向からとりあげ紹介してるんだ。ドイツ料理がドイツ国家やドイツ文化に影響してるんだって。ベートーヴェンが好きだったドイツの郷土料理って何だと思う?

「日独交流150周年」記念特別イベントも企画中。楽しみだニャ=^_^=

ザート商会


(写真:HPから)
今日はラースが東京にあるドイツレストランを回るので内緒で付いてきちゃった!
シュタンツェル大使から「日独交流150周年」のPRをするように言われたみたい。都内のドイツレストランはYoung Germanyの「とっておきドイツレストラン 東京とその近郊でドイツ料理が食べられるお店紹介」に紹介されてるのを参考にピックアップ。ポスターやチラシ、パンフレットを用意して出発進行!

まず行ったのが「株式会社 ザート商会」(港区愛宕2-5-1 愛宕グリーンヒルズMORIタワー5F)。
輸入事業や美味しいヴァイツェンビールのお店「フランツィスカーナー」をはじめ直営レストランを通して今までのドイツとこれからの新しいドイツ文化を紹介してるんだ。取引のあるレストランにまとめて配ってくれるみたい。とっても助かるにゃ=^_^=
よろしくお願いしまーす!

150年前の1月12日は・・・


作曲家でピアニストのアドルフ・イェンゼン24歳の誕生日。リストに注目されて、シューマンの後継者とも言われたんだ。ピアノ曲がロマンティックでとても有名ニャんだって=^_^=

2011年1月11日火曜日

150年前の1月11日は・・・


今年もおとといからドイツ人も大好きな大相撲初場所が始まったニャ=^_^=
150年前も相撲があって、当時は年2場所制で1月と5月だったんだって。だからもしかしたら試合があったかも?
1861年9月にはあの第10代横綱雲龍が誕生。横綱土俵入りの型「雲龍」「不知火」で有名だね。横綱になった年齢が38歳って、今と比べるとかなり高齢だニャ=^_^=

2011年1月10日月曜日

150年前の1月10日は・・・


文学者、言語学者のカール・フローレンツが生まれる4年前の日。1889年から1914年まで東京帝国大学(現在の東京大学)獨逸文学科の教壇に立って日本にドイツ言語学、ドイツ文学研究の基礎を築いたんだ。
フローレンツはドイツで留学中の森鷗外らと交流し日本の言語と文学に触れ、来日してからは日本文化を本格的に研究。日本書紀や日本の詩歌・戯曲などを翻訳したんだ。著書に「日本文学史」があって、ドイツでは日本学のパイオニアとして紹介されてるニャ=^_^=

そしてもう一人、日本とプロイセンが条約を締結した時の老中、安藤信正41歳の誕生日。陸奥国磐城平藩(現在のいわき市付近)の第5代藩主だったんだニャ=^_^=

2011年1月9日日曜日

150年前の1月9日は・・・


NHK大河ドラマ「龍馬伝」で香川照之さんが演じた岩崎弥太郎26歳の誕生日。実業家で三菱財閥の創業者だニャ=^_^=

そしてもう一人、プロイセン鉄道のエンジニアのロベルト・ガルベ14歳の誕生日。あんまり聞かない名前だけど、鉄道ファンには彼が設計した「P8」という蒸気機関車がとっても有名で、蒸気機関車の最高傑作といわれてるみたいだニャ=^_^=

2011年1月8日土曜日

150年前の1月8日は・・・


指揮者でピアニストのハンス・フォン・ビューロー31歳の誕生日。ビューローはクララ・シューマンのお父さんのフリードリヒ・ヴィークにピアノを習っててその演奏はフランツ・リストに賞賛されたほど。そしてビューローは職業指揮者の先駆けとしても有名。それまでのオーケストラの指揮は作曲家自身がしてたんだ。
1887年には82年に創立されたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任してこのオーケストラを成長させたんだ。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』や『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を初演、フランツ・リストの娘コジマと結婚(のちに離婚)、ブラームスの交響曲第4番の初演時に、ブラームスが指揮、ビューローが大太鼓、リヒャルト・シュトラウスがトライアングルを担当といったエピソードがあって、音楽ファンにはたまらないニャ=^_^=

2011年1月7日金曜日

150年前の1月7日は・・・


バイエルン王国最後の国王ルートヴィヒ3世16歳の誕生日。在位は1913年から1918年だったんだニャ=^_^=

そして科学者で発明家のフィリップ・ライス27歳の誕生日。科学は独学で学んだんだって。「ライステレフォン(PHILIPP REIS-TELEPHONE)」を発明したんだニャ=^_^=

2011年1月6日木曜日

クリスマス気分も・・・


アトリウムのクリスマスツリーの片付けがはじまったよ。ドイツでも今ごろに片付けるみたい。
今日はドイツでは「Heilige Drei Könige」といってバイエルン州、バーデン=ヴュルテンベルク州、ザクセン=アンハルト州は祝日でお休み。
日本では「東方の三博士」が誕生したイエス・キリストに会いにくるんだけど、ドイツでは3人の王様みたいだニャ=^_^=

150年前の1月6日は・・・


ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンの39歳の誕生日。ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアを発掘したことで有名だね。
1865年には日本を訪問してるんだニャ=^_^=