2011年10月31日月曜日

150年前の10月31日は・・・


数学者カール・ワイエルシュトラス46 歳の誕生日。田舎の高校で教員をしながら研究続けて、やがてベルリン大学に招聘。ワイエルシュトラス関数やカゾラーティ・ワイエルシュトラスの定理など 数々の業績を残したんだ。さぞかし学生時代はモーレツなガリ勉だったと思いきや、ボン大学に入学したもののビールと決闘に熱中して4年間で一つも単位を取 らニャかったんだって=^_^=

そして指揮者、ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家のロベルト・ラデッケ31歳の誕生日。シュテルン音楽院院長、ベルリン宮廷歌劇場総監督をつとめたドイツ楽壇の重鎮。指揮者ブルーノ・ワルターの先生だニャ=^_^=

そして化学者アドルフ・フォン・バイヤー26歳の誕生日。色料のインディゴを合成。1905年に「有機染料およびヒドロ芳香族化合物の研究」によってノーベル化学賞を受賞したんだニャ=^_^=




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2011年10月30日日曜日

大統領を待つ間に・・・



28日、いよいよヴルフ大統領一行が日本を離れる日がやってきた。
「大統領が6日間も日本に滞在したこと、そして日本だけに来たことは初めてじゃない?」って総領事館のタダさんが言ってたニャ。23日のドイツフェスティバルからずっといいお天気で、無事に全行程を終了。



総領事館のスタッフと会うために遅れて到着するヴルフ大統領を待つ間、一行のみなさんは新型の専用機(A340)の前で記念撮影してたニャ=^_^=

今回、大統領の特別ゲストとして一緒にドイツから来た、化学者の井上茂義さんや、映画監督のドリス・デリエさん、なでしこジャパンの安藤梢さん。みなさん訪れた地でたくさんの人と交流をされたみたい。でも、井上さんは日本代表ユニフォームを着た安藤さんと一緒に並んでた時、安藤さんのマネージャーさんだと間違えられたみたい!苦笑いしながら話してたニャ=^_^;=

しばらくすると大統領が到着。神余ドイツ大使やシュタンツェル大使としっかりと握手して来日の成功を確認。日本の外務省、警察、空港関係者をはじめ訪問先のたくさんの人たち、そして運転手さんたちのおかげだニャ!

離陸準備に入った専用機をみんなで見送ってたニャ=^_^=

150年前の10月30日は・・・


プロイセン王国の王族で軍人のフリードリヒ・フォン・プロイセン67 歳の誕生日。フリードリヒは妃のヴィルヘルミーネ・ルイーゼとともに文化の保護者としても知られ、任地のデュッセルドルフで芸術・音楽・演劇の協会を創設 したんだ。中世にライン川沿いに建てられた城に興味を持って、1815年にライン州がプロイセン王国領となると、廃墟となっていたファッツベルク城を購入 してゴシック・リヴァイヴァル建築様式で再建して、新しく「ラインシュタイン城」と命名したんだニャ=^_^=




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2011年10月29日土曜日

鳴門に響く歓迎の歌声



27日、ヴルフ大統領は満開のドイツコスモスが咲く鳴門を訪ねたんだ。
映画『バルトの楽園』で有名なこの地には鳴門市ドイツ館があって、ベートーヴェンの「第九」初演の地ということで、大きなベートーヴェンの像もあるんだニャ。



地元の板東みやま保育園と板東ゆたか保育園の4才の園児さんたちはお揃いのベートーヴェンのTシャツを来て「第九」の『歓喜の歌』をニャんとドイツ語!で歌ってヴルフ大統領をお迎えしたんだ。とっても上手にドイツ語で歌ってくれて、みんなビックリしたみたい。4月から練習してたんだって!

映画監督のドリス・デリエさんも、



公式カメラマンも、



グトー大佐も、



みんなが子どもたちと楽しいひと時をすごしたんだ。
あっ、安藤選手にだっこされてうれしそーだニャ!



ドイツ館を出発する時、熱烈に見送る園児さんたちの声にヴルフ大統領はいったん下りた階段をもう一度上って園児さんとお別れしたんだニャ=^_^=



ヴルフ大統領が次に訪れたのはすぐ近くの坂東俘虜収容所跡地。そこでも地元の方々がドイツ国旗を持って『歓喜の歌』と日本の歌でお迎えしたんだ。



ヴルフ大統領は慰霊碑に献花をして祈りを捧げたんだ。



ヴルフ大統領たっての希望で訪れることになった鳴門の地、



地元の皆さんとの貴重なふれあいもできて、とってもよかったニャ!=^_^=

150年前の10月29日は・・・


教育者フリードリッヒ・ディースターヴェーク71 歳の誕生日。国民学校の改善に尽力して、国民学校の教師の養成教育の改革とその教師の社会的な認知を高めることに力を注いだんだ。教会による教育への強い 介入にも、また教育への政治的な介入にも反対の立場をとって、教育学的で専門的な学校教育が監督されて、統一的な学校組織が誕生することを求めたんだ ニャ。ベルリン中心部のブルク通りに記念碑があるみたいだニャ=^_^=




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2011年10月28日金曜日

150年前の10月28日は・・・


江戸幕府第15代征夷大将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)24歳の誕生日。江戸幕府最後の将軍(1867年から1868年)で大政奉還や新政府軍への江戸城明け渡し(無血開城)を行なったんだニャ=^_^=

そして公法学者フーゴー・プロイス1歳の誕生日。「ヴァイマル憲法の父」として知られているニャ=^_^=

そしてオーストリアの歌手カロリーネ・ウンガー58歳の誕生日。1824年5月7日にウィーンのケルントネル門劇場でベートーヴェンの交響曲第9番が初演された時のアルト歌手だニャ=^_^=




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2011年10月27日木曜日

文化の刺激



昨日、ヴルフ大統領は京都のヴィラ鴨川の開所式に出席したんだって。
このヴィラ鴨川は、ゲーテ・インスティトゥートがドイツの芸術家を3ヶ月間招聘して、日本に滞在しながら創作活動を行う機会を提供するためにつくられたんだ。

ヴィラ鴨川には、おいしいドイツのお菓子やビールを楽しめるカフェ「Café Müller(カフェ・ミュラー)」もあるみたい。その名前は2007年に京都賞を受賞した、ドイツを代表する振付家のピナ・バウシュ(2009年没)の1978年に初演された代表作『カフェ・ミュラー』にちなんで付けられたんだニャ=^_^=

150年前の10月27日は・・・


プロイセン王国の軍人で陸軍元帥のアウグスト・フォン・グナイゼナウ生誕101年目の日。1831年に70歳で亡くなってるんだ。ナポレオン支配から脱却を目指したプロイセンの軍制改革者で、シャルンホルストと共に現在も各国軍に設けられる参謀本部の先駆けのプロイセン参謀本部を建設したんだ。対ナポレオン戦争に勝利してプロイセンを強国に導いたんだニャ=^_^=




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2011年10月26日水曜日

大統領から



昨日、ヴルフ大統領は豊間の海岸にも行ったみたい。そこでは役所の方から説明を受けたり、地元の方とお話しをしたりしたんだって。
たくさんの報道陣を引き連れて視察してる時、そこにいた地元の小学生を見つけると、突然ヴルフ大統領は「日独交流150周年」のマウスカードをひとりひとりに手渡したんだ。
みんな大統領から直接もらってビックリ!
よかったニャ=^_^=

手づくり



昨日ヴルフ大統領がいわき市の仮設住宅の方々とお会いしてる間、他の随員のみなさんはいわき市の中央台公民館を訪ねたみたい。
大統領のゲストとして一緒にドイツから来た、化学者でアレキサンダー・フォン・フンボルト財団のソフィアコバレフスカヤ賞を日本人として初めて受賞した井上茂義さんや、なでしこジャパンの安藤梢選手、映画『HANAMI』のドリス・デリエ監督も参加したんだ。
そこでは広野町、楢葉町、いわき市の役所の方から、震災から今までの状況や今後の復興についてのお話を聞いたんだって。
中央台公民館では館長の緑川さんお手製のドイツ国旗と、ドイツ音楽のBGM(ハイドンのトランペット協奏曲が流れてたんだって!)でみんなを迎えてくれたんだ。
ニャんかとってもうれしー気分だニャ!=^_^=

150年前の10月26日は・・・


プロイセン王国の軍人、軍事学者のヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ61 歳の誕生日。甥で後に同じく陸軍参謀総長として第一次世界大戦の帝政ドイツ陸軍を指揮したヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ(小モルト ケ)と区別して、「大モルトケ」とも呼ばれるんだ。陸軍参謀総長として手腕を見せて、対デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争に勝利してドイツ統一に貢献。ビスマルク、ローンとともにドイツ帝国建国の三傑と讃えられているんだニャ=^_^=

そして公家で政治家の岩倉具視(いわくらともみ)36 歳の誕生日。維新の十傑の1人。政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された「岩倉使節団」の正使として1871年12月23日から1873年9月 13日まで、アメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国を訪れてるんだ。岩倉は史上初めて「癌告知」を受けた日本人なんだって。体調悪化を聞いた明治天皇が勅命を出 して当時東京大学医学部教授をしていたエルヴィン・フォン・ベルツに診察させ、ベルツは岩倉に癌の告知したんだって。そう言えば昔あった500円紙幣に岩倉の肖像が採用されてたっけ。懐かしいニャ=^_^=

そしてこの1861年にフィリップ・ライスがフランクフルト物理学会で「ライステレフォン(PHILIPP REIS-TELEPHONE)」を公開したんだ。グラハム・ベルが初の電気式電話機の特許を取得した1876年3月よりずーっと前だニャ=^_^=




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2011年10月25日火曜日

150年前の10月25日は・・・


天文学者ハインリッヒ・シュワーベ72歳の誕生日。太陽黒点が約11年の周期で増減することを発見したことで有名だニャ=^_^=

そして文学者アレクサンダー・ビューヒナー34歳の誕生日。革命家、劇作家、自然科学者のゲオルク・ビューヒナー、化学者で絵具の製造でウルトラマリンの人工合成に成功したヴィルヘルム・ビューヒナー、そして医師、自然科学者、哲学者のルートヴィヒ・ビューヒナーはお兄さん、作家で政治活動家のルイーゼ・ビューヒナーはお姉さんだニャ=^_^=

そしてローマ法学者フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーが82歳で亡くなったんだ。近代私法(民法・国際私法)の基礎を築いた法学者として名高く、大学教授として、プロイセンの枢密顧問(Staatsrat)、裁判官、法律改正大臣として活躍したんだ。ということは今年は没後150周年だニャ=^_^=

そしてこの2年前の1859年の今日、オイレンブルク遠征隊の艦船が日本に向けて出発し たんだニャ。遠征隊は艦船乗組みの海路組と、鉄道など利用の陸路組に分かれてプロイセンを出発、シンガポールで合流して江戸に到着したんだ。艦隊はコル ベット艦「アルコーナ号」を中心に4隻で構成、何度か嵐に遭うなど苦しい船旅だったみたい。特に「アルコーナ号」は北海で暴風のため損傷してイギリスで修 理、もう1隻の「フラウエンロープ号」は、江戸への到着間近の伊豆沖で台風のために41人の乗組員とともに行方不明になってしまったんだって。大変な旅 だったんだニャ=^_^=




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2011年10月24日月曜日

日独交流のために



来日するや空港から直接ドイツフェスティバルに足を運んだヴルフ大統領。
多くのイベントをご覧にニャって、来場者と交流を深めた昨日だったニャ=^_^=

そして今日は、天皇陛下とお会いにニャりました。

政界・財界の重鎮とも意見を交わし、記者会見を行ったあとは、野田首相の晩餐会に出席。
過密スケジュールにもかかわらず、いつも笑顔でさわやかニャ印象だニャ=^_^=

150年前の10月24日は・・・


物理学者ヴィルヘルム・ヴェーバー57歳の誕生日。電気や磁気の精密な測定器具を製作して電磁気学の形成に貢献したり、ガウスとともに電磁気の単位系の統一に努力して磁束の国際単位系「ウェーバ」に名を残しているんだ。また、電気が荷電粒子の流れであるということを最初に主張したんだニャ。生理学者のエルンスト・ヴェーバーはお兄さんで、解剖学者のエドゥアルト・ヴェーバーは弟だニャ=^_^=

そして数学者、光学者、天文学者のルートヴィヒ・ザイデル40歳の誕生日。光学の研究を行って「ザイデル収差」で知られてるニャ=^_^=




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2011年10月23日日曜日

AKBとBKA



左から読んでも、右から読んでも「AKBとBKA」。

「AKB」はモチロン、日本のアイドルグループで今日のドイツフェスティバル特別ゲストとして参加してくれたAKB48のこと!
今日来てくれたのは、
高橋みなみさん、
藤江れいなさん、
仁藤萌乃さん。
会場は大いに盛り上がってたニャ!=^_^=

じゃ、「BKA」はニャんだと思う?
答はBundeskriminalamtで「BKA」、つまり「ドイツ連邦刑事局」のことみたい。
今日はBKAのメンバーが、一緒に来日したヴルフ大統領の警護をしてたニャ。
とってもカッコよかったニャ=^_^=

150年前の10月23日は・・・


教育家の外山正一(とやままさかず)13歳の誕生日。イギリスとアメリカに留学。東京大学の日本人初の教授となって、後に同総長、貴族院議員、そして第3次伊藤博文内 閣では文部大臣を務めたんだ。生活は質素だったみたいだけど、ファッションは別で、山高帽に派手な色の外套という当時最新のファッションに身を包んで「赤 門天狗」と呼ばれていたんだって。そして散髪のやり方次第で頭脳は発達すると考えて、どの店の散髪がよいか理髪店をいつも替えていたんだって!効果あるの かニャ!?=^_^=

そして今日はドイツからヴルフ大統領をお迎えして、有栖川公園で日独交流150周年のメインイベント「ドイツフェスティバル」が行われるニャ!
みんなも来てニャ!=^_^=




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2011年10月22日土曜日

150年前の10月22日は・・・


ハンガリーに生まれ、ドイツやオーストリアなどヨーロッパ各国で活躍したピアニストで作曲家のフランツ・リスト50歳の誕生日。だから、今年はリスト生誕200年ニャんだ!演奏会形式としての「リサイタル」を初めて行なったんだって。そして『前奏曲』(Les préludes)で有名な「交響詩」というジャンルの創始者で、ハンス・フォン・ビューローを はじめとする多くの弟子を育成したんだ。1861年頃はピアノ独奏曲集『巡礼の年』の「ヴェネツィアとナポリ」を出版(1859年作曲)、「メフィスト・ ワルツ第1番」で有名な管弦楽曲『レーナウの「ファウスト」による2つのエピソード』が完成、1839年に初稿が完成されたピアノ協奏曲第2番の決定稿が 出されているニャ。 ピアニストとしてのリストは超絶的な技巧を持つ当時最高のピアニストで「ピアノの魔術師」と呼ばれたんだ。演奏技術と初見に関しては、どんな曲でも(ショパンの エチュードは別!)初見で弾きこなしたと言われて、現在でも、いまだにリストを超えるピアニストは現れていないと言われているんだって。その技巧と音楽性 から「指が6本あるのではないか」という噂が信じられていたんだニャ。ボクは「ラ・カンパネッラ」が好きだニャ=^_^=




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2011年10月21日金曜日

名物?



広尾駅から来ると、大使館の前の坂道は結構キツイ(>_<)
でも、壁の展示を見ながら上ればちょっとは楽にニャる!?

殺風景なコンクリートの壁を使った展示がまた新しくニャったみたい。
今回は「絆をつなごう ドイツと日本」と題して東北の被災地での日独プロジェクトの様子が展示されてるニャ。
あさって来日するヴルフ大統領がベルリンの日本大使館を訪問した写真とか、
なでしこジャパンがドイツで行われたワールドカップで優勝した写真とか、
宮古市から来た中学生の写真とか・・・

あさって23日のドイツフェスティバルに来たら、是非見てね!=^_^=

150年前の10月21日は・・・


スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベル28歳の誕生日。ダイナマイトの発明(1866年)と「ノーベル賞」で有名だニャ=^_^=

そしてちょうど150年前のこの日に、日本では宮城県沖地震が発生したんだ。時間は朝の4時頃で、北緯38.5度、東経142.0度付近が震源でマグニチュード7.3だったんだ。死傷者も出て津波もあったんだって。江戸も揺れを感じたみたいだニャ=^_^=




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2011年10月20日木曜日

150年前の10月20日は・・・


東芝の創業者の田中久重の弟子で養子の田中大吉、2代目田中久重(たなかひさしげ)15歳の誕生日。初代久重の遺志と事業を受け継ぎ、東京の芝浦に「田中製造所」を設立。先代の情熱と探究心のDNAを引き継いだんだニャ=^_^=




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2011年10月19日水曜日

150年前の10月19日は・・・


政治家パウル・ヴェルナー13歳の誕生日。1881年7月1日にドイツ西部のノルトライン=ヴェストファーレン州の都市ハムの初代市長に、そして1892年5月3日にはブランデンブルク州の中でポツダムに続いて二番目に大きい都市コトブスの初代市長になったんだニャ=^_^=




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2011年10月18日火曜日

150年前の10月18日は・・・


第7代プロイセン王ヴィルヘルム1世が兄王フリードリヒ1世をまねてプロイセンのケーニヒスベルクで自ら戴冠したんだニャ=^_^=

そしてヴィルヘルム1世の後に第8代プロイセン王、第2代ドイツ皇帝となるフリードリヒ3世30 歳の誕生日。ヴィルヘルム1世が長寿だったので1888年3月9日に即位した時はすでに56歳で(でも、ヴィルヘルム1世が即位した時は63歳だった ニャ!)、しかも前年患った喉頭癌の適切な治療を医師の勢力争いによって受けることができず余命いくばくもなかったんだ。1888年6月15日に即位から わずか99日で崩御して、皇太子ヴィルヘルム2世が後を継いだんだニャ=^_^=




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2011年10月17日月曜日

150年前の10月17日は・・・


旗本で外交官(外国奉行)の村垣範正(むらがきのりまさ)48歳の誕生日。日普修好通商条約締結にあたり、交渉中だった堀利煕が亡くなったために、その交渉の任を引き継いで日本側全権として調印に臨んだんだ。条約には村垣淡路守のサインが残ってるニャ=^_^=

そして軍医テオドール・ホフマン24歳の誕生日。大学東校(現在の東大医学部)の医学教師として来日した御雇い外国人の一人で内科学を担当。レオポルト・ミュラーとともに大学東校の医学教育制度を改革して、それまでのイギリス式からドイツ式の大学形態にしたんだ。 日本に初めて穿胸術(せんきょうじゅつ)や肋骨切除術を伝えて、脚気(かっけ)の研究を行い、栄養学ももたらしたんだニャ=^_^=




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