2011年7月31日日曜日

150年前の7月31日は・・・


化学者フリードリヒ・ヴェーラー61歳の誕生日。1828年、シアン酸アンモニウムを加熱中に尿素が結晶化しているのを発見して、無機化合物から初めて有機化合物の尿素を合成(ヴェーラー合成)したことで有名。有機化学の父と呼ばれているニャ=^_^=

そしてアメリカ人教育者でクラーク博士として知られているウィリアム・スミス・クラーク35歳の誕生日。札幌農学校(現北海道大学)初代教頭で、お雇い外国人のひとり。ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得してるんだ。「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」は有名だニャ=^_^=

そして測地学者フリードリッヒ・ロバート・ヘルメルト18歳の誕生日。地球楕円体の形状に係る楕円パラメータを決定したほか、測地座標系の座標変換などで用いられる「ヘルメルト変換」や、正標高の一種である「ヘルメルト高」でもその名が知られているんだ。寺田寅彦や、杉山正治がドイツ留学した時にヘルメルトの教えを受けているニャ=^_^=

そしてプロイセン王国内相、首相を歴任したボート・ツー・オイレンブルク30歳の誕生日。日普修好通商条約の為に来日したオイレンブルク伯爵は叔父さんにあたるんだ。その叔父さんから内務大臣職を受け継いだんだニャ=^_^=




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2011年7月30日土曜日

150年前の7月30日は・・・


起業家ヨハン・ゲオルク・ハルスケ47歳の誕生日。1847年12月12日に、ヴェルナー・フォン・ジーメンスと一緒にベルリンに電信機製造会社、ジーメンス・ウント・ハルスケ (Telegraphen-Bauanstalt von Siemens & Halske) を創業したんだ。世界で最初の電車を製造したんだニャ。そしてこの会社が今や総合鉄道関連メーカーとしては、ボンバルディア、アルストムと並ぶ「ビッグスリー」の一つとして有名なシーメンス(Siemens AG)にニャったんだ=^_^=

そしてハルスケと一緒に創業したヴェルナー・フォン・ジーメンスの息子ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ジーメンスも6歳の誕生日。偶然だニャ=^_^=




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2011年7月29日金曜日

150年前の7月29日は・・・


ピアニストのゾフィー・メンター15歳の誕生日。フランツ・リストの愛弟子。聴き手を興奮に誘なう強烈な演奏様式で当時の最高のヴィルトゥオーゾの一人に数えられ、パリでは「リストの再来(l'incarnation de Liszt)」と呼ばれたんだニャ=^_^=

そして3年前の1858年の今日、日本とアメリカ合衆国の間で日米修好通商条約が結ばれたんだニャ=^_^=




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2011年7月28日木曜日

150年前の7月28日は・・・


オーストリアのピアノ製造職人イグナーツ・ベーゼンドルファー65歳の誕生日になるはずだったんだけど、2年前の1859年に亡くなってるんだ。スタインウェイ、ベヒシュタインと並んでピアノ製造御三家に数えられているベーゼンドルファー(L.Bösendorfer Klavierfabrik GmbH)の創業者。ベーゼンドルファーのピアノはフランツ・リストの激しい演奏に耐え抜いたことで多くのピアニストや作曲家の支持を得たんだって。知らなかったニャ=^_^=

そして哲学者ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ57歳の誕生日。青年ヘーゲル派の代表的な存在ニャんだって=^_^=




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2011年7月27日水曜日

150年前の7月27日は・・・


ドイツ印象派の画家トーマス・ヘルプスト13歳の誕生日。ハンブルグ芸術家クラブの創立メンバーだニャ=^_^=




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2011年7月26日火曜日

150年前の7月26日は・・・


社会学者フェルディナント・テンニース6歳の誕生日。人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結びついた伝統的社会形態であるゲマインシャフト(Gemeinschaft)から利害関係に基づいて人為的に作られた社会(利益社会)のゲゼルシャフト(Gesellschaft)へと変遷していくと考えたんだニャ=^_^=




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2011年7月25日月曜日

150年前の7月25日は・・・


作曲家でピアニストのフェルディナント・バイエル58歳の誕生日。ピアノ学習の入門書として長く親しまれている「バイエル教則本」で有名。ボクも練習しましたニャ=^_^=

そして医学者パウル・ランゲルハンス14歳の誕生日。インスリンやグルカゴンなどを産生する膵臓の細胞塊のランゲルハンス島を1869年に発見したんだ。ニャるほど聞いたことあると思ったニャ=^_^=




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2011年7月24日日曜日

150年前の7月24日は・・・


テディベアで有名なドイツの人形メーカーのシュタイフ社(Margarete Steiff GmbH )の創業者マルガレーテ・シュタイフ14歳の誕生日。1才半で小児麻痺を患い、両足と右手が不自由となるハンデを負って生涯車椅子と過ごす事になったけど、ハンデを乗り越えてフェルト店「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」を設立。1880年に義理の妹へのプレゼントに作った、フェルト製のゾウの針刺しが世界ではじめてのぬいぐるみとして人気にニャったんだ。1902年に甥リヒャルト・シュタイフのスケッチをもとに熊の人形(ベア)を制作。翌年ライプチッヒの見本市に出展したけど毛が生えたモヘア製で、大きくて重く、値段も高くてまったく人気がでなかったんだって。でもアメリカのバイヤーの目にとまり3000体ものオーダーにこぎつけたんだ。そしてアメリカに渡ったベアがルーズベルト大統領の晩餐会のテーブルディスプレイに使われて、テオドア・ルーズベルト大統領のニックネーム「テオドア=テディ」にちなんで「テディベア」と呼ばれ大ブームを起こしたんだって。人形はひとつひとつ職人の手作り。だから同じ種類でも顔はちょっと違うみたい。ボクも作ってくれニャいかニャ=^_^=

そして実業家の濱口梧陵(はまぐちごりょう)41歳の誕生日。醤油醸造業を営む浜口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、1854年12月24日夜、安政南海地震の津波が彼の住む広村に襲来した際に、自身の田にあった藁の山に火をつけて津波から村人を救ったんだ。津波から命を救えるかは、情報の伝達の速さが関わっているという教訓を残して、これをもとに作られた物語が『稲むらの火』として知られているんだニャ。広村の復興と防災に投じた莫大な費用は全て濱口が私財を投じて賄ったんだって。スゴイニャ=^_^=




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2011年7月23日土曜日

150年前の7月23日は・・・


幕臣山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)25歳の誕生日。剣・禅・書の達人ニャんだって。勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称されるんだ。木村屋のあんパンが大好きで毎日食べていたみたい。そして木村屋の看板は鉄舟の揮毫(きごう)によるものニャんだって。今度看板見に銀座に行こっと!=^_^=




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2011年7月22日金曜日

150年前の7月22日は・・・


孝明天皇(こうめいてんのう)30歳の誕生日。在位は1846年3月10日から1867年1月30日だニャ=^_^=

そして洋画家の浅井忠(あさいちゅう)5歳の誕生日。正岡子規に西洋画を教えて、夏目漱石の小説「三四郎」の中に登場する深見画伯のモデルとも言われてるニャ=^_^=




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2011年7月21日木曜日

150年前の7月21日は・・・


貴族、軍人、政治家のアドルフ・ツー・ホーエンローエ=インゲルフィンゲン64歳の誕生日。1862年3月17日から1862年9月23日の短い期間だけどプロイセン王国の宰相を務めたんだニャ=^_^=

そしてポール・ジュリアス・ロイター45歳の誕生日。名前からピンと来たかニャ?そう、通信社のロイター(Reuters)社を起こした人物だニャ=^_^=

そして幕臣の堀利煕(ほりとしひろ)43歳の誕生日になるはずだったんだけど・・・「1860年、プロイセンの外交官フリードリヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルクとの条約交渉を行なっていたが、このときに利煕がプロイセンと裏交渉しているという風聞、並びにプロイセンではなくドイツ連邦(当時、ドイツはまだ統一されておらず、利煕がプロイセン一国だけではなくオーストリアとも秘密交渉を行なっていたというまことしやかな風聞が流れたらしい)との秘密交渉などが行なわれていたことなどが露見して、幕府から追及される。利煕はそれに対して何の弁解も行なわず、プロイセンとの条約締結直前に切腹した。」ニャんか悲しいニャ・・・

そしてハインリッヒ・フォン・シーボルト9歳の誕生日。これまた名前からわかるように、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの息子でオーストリアの外交官で考古学者。ニャんでオーストリアかというと、勤務先となったオーストリア=ハンガリー帝国公使館で通訳、書記官を経て代理公使を務めてその功績を称えられたからニャんだって。考古学者としては大森貝塚発掘のことが有名だニャ。日本に強い興味と憧れを持って1869年初来日。日本では日本橋の商家の娘岩本はなと結婚したんだ。お兄さんは外交官で、井上馨外務卿の秘書となったアレクサンダー・フォン・シーボルトだニャ=^_^=




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2011年7月20日水曜日

150年前の7月20日は・・・


画家マックス・リーバーマン14歳の誕生日。19世紀末から20世紀始めにかけてドイツ語圏で興った世紀末芸術運動における芸術家集団のひとつで1899年に結成された「ベルリン分離派」創立者の一人。他の集団には、「ミュンヘン分離派(1892年結成)」「ウィーン分離派(1897年結成)」があるニャ=^_^=




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2011年7月19日火曜日

150年前の7月19日は・・・


外科医で作家のカール・ルートヴィッヒ・シュライヒ2歳の誕生日。コカインによる浸潤麻酔を提唱して、局所麻酔法を普及させたんだニャ=^_^=




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2011年7月18日月曜日

フランクフルトとなでしこ



「サッカー女子ワールドカップ2011 ドイツ大会」は日本での女子サッカーの知名度を飛躍的に上げた歴史的大会となったニャ!
ドイツがなでしこに負けて大会3連覇を逃したのはとっても残念だったけど、なでしこが強敵のアメリカを破って世界一になったことは今でも夢のよう!(もう起きてますニャ=^_^;=)
なでしこ達の「あきらめない!」そのプレースタイルに元気をもらったニャ!

ところで決勝戦が行われたフランクフルト。実はドイツにはもう一か所フランクフルトがあるんだ。
決勝戦が行われたヘッセン州のフランクフルトは正式には「フランクフルト・アム・マイン」(マイン川沿のフランクフルト)。ドイツ、そしてヨーロッパの中心的な都市で、シュタンツェル大使のふるさと。
そしてもう一つは「フランクフルト・アン・デア・オーダー」(オーデル川沿いのフランクフルト)でブランデンブルク州のポーランドとの国境近くにあるんだ。オーデル川は、ドイツとポーランドの国境線のオーデル・ナイセ線の「オーデル」だニャ。
みんなは「フランクフルト」っていうとソーセージを思い浮かべニャい?「フランクフルト・ソーセージ」は和製語で、太くて大きなソーセージは元々フランクフルト名産のヴルスト(=ソーセージ)のことニャんだって。

今大会旋風を巻き起こしたなでしこ。
「なでしこ」はナデシコ科ナデシコ属の植物のことで秋の七草の一つニャんだって。ナデシコ属にはヤマトナデシコの異名を持つカワラナデシコ、ヒメハマナデシコ、ハマナデシコ、シナノナデシコと種類が豊富。あのカーネーションも仲間なんだって!
「撫でし子」と語意が通じるから子どもや女性にたとえられて、和歌などに多く参照されてるんだって。『源氏物語』の巻名のひとつ「常夏」(とこなつ)は、常夏の花(ナデシコ)を詠んだ和歌「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ」に因んでるんだって。
その花は、か弱く可憐で、大活躍の「なでしこ」とは全然違うイメージだけど・・・
サッカー女子日本代表の愛称「なでしこジャパン」は、女子代表の認知度を高めて女子サッカーの発展につなげる意味でJFAが愛称を募集。約2700通の応募の中から選ばれたんだって。それまでの大会では「大和撫子」と呼ばれてたんだニャ。
「大和撫子」は日本人女性の「凛とし清らかな美しさ」を讃える言葉。あ、ちゃんと「なでしこジャパン」を表してるニャ!=^_^=

150年前の7月18日は・・・


哲学者イマヌエル・ヘルマン・フィヒテ65歳の誕生日。お父さんはドイツ観念論を代表する哲学者・ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ。日本では、通称「小フィヒテ」と呼ばれているニャ=^_^=

そして、なでしこ世界一おめでとニャ!=^_^=





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2011年7月17日日曜日

なでしこパーティー!



「サッカー女子ワールドカップ2011 ドイツ大会」を記念して大使館でパーティーが開かれたニャ=^_^=
先日着任したばかりのヘルツベルク公使のリラックスした日本語のスピーチで開会。

それにしても暑かったニャ=^_^;=
でもフットサルに参加した6チームはそんな炎天下を諸共せず、熱い試合を見せてくれたニャ。決勝戦は早稲田大学対順天堂大学2。同点だったのでPK合戦(遠距離からGK無しのゴールを狙う)で辛くも順天堂大学2の優勝でした。
一方アトリウムではテーブルサッカーがこれまた熱戦を繰り広げたニャ。「ニャーんだ、遊びじゃん!」と思ってたボクはビックリ!テクニックと駆け引きが面白く、スピード感あふれてスリリングニャんだ!
ゲームに参加しない人もラガーさんのビールとお料理を堪能。日差しが強い中でのビールは格別!「日本のビールより飲みやすくて美味しい!」って参加者からも好評だったニャ=^_^=
そしてパーティーの途中で、サッカーボールを使ったサプライズパフォーマンスにみんな釘付け。サッカーアーティスト「球舞」のパフォーマンスはもう神業。手でやるのも難しいことを足でやっちゃうんだから、スゴイよニャ!!!

表彰式ではヘルツベルク公使が、今度は日本語では無くてドイツ語であいさつ。(ビールを飲み過ぎちゃったんだって!)
そしてフットサルトーナメントを監督したエンゲルスさんがトーナメントの表彰。JFAさんとアディダスさんから提供していただいた賞品を受賞者の皆さんに贈呈してくれて、最後にサッカーに対する熱い思いを参加者の皆さんに訴えてたニャ。

そう言えばヘルツベルク公使が言ってたっけ。「今晩は寝ないでください」って。
でも今日は炎天下に長くいて、みんなヘトヘトじゃないかニャ?でもなでしこのことが気になるし・・・
では、大使館のパウル(職員)の予言をお伝えしましょう。
「なでしこが2対1で勝ちます!」
では、予言を信じてゆっくり寝ましょうかニャ=^_^=

150年前の7月17日は・・・


江戸幕府第14代征夷大将軍徳川家茂(とくがわいえもち)15歳の誕生日。1858年、12歳の時に将軍にニャってるんだ。英明さと真摯さで勝海舟をはじめ幕臣からの信望厚く、忠誠を集めたと言われているニャ=^_^=

そして今日はドイツの首相アンゲラ・メルケルさんも誕生日。ニャんとメルケルさんって科学者ニャんだって!=^_^=




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2011年7月16日土曜日

150年前の7月16日は・・・


勘定奉行や外国奉行を務めた小栗忠順(おぐりただまさ)34歳の誕生日。小栗上野介(こうずけのすけ)とも称されるんだ。1860年に日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米して、地球を一周して帰国したんだニャ=^_^=




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2011年7月15日金曜日

150年前の7月15日は・・・


軍人アレクサンダー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット38歳の誕生日。ヘッセン大公ルートヴィヒ2世と妃ヴィルヘルミーネの四男(第5子)としてダルムシュタットで生まれて、大公家の男子のならいとして軍人にニャったんだ。大公家というヨーロッパの君主一家の一員だけに、簡単に好きになった人と結婚できなかったんだ。駆け落ちして結婚したんだニャ=^_^=




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2011年7月14日木曜日

150年前の7月14日は・・・


ヴァイオリニストのヴィリー・ヘス2歳の誕生日。ボストン交響楽団、ハレ管弦楽団や、フランクフルト、ロッテルダムでコンサートマスターを勤めたんだ。作曲家のマックス・ブルッフと親しく、ブルッフは1910年にヴァイオリンと管弦楽のための《コンツェルトシュテュック》作品84をヘスのために作曲しているニャ=^_^=

そして8年前の1853年の今日、ペリー提督が久里浜に上陸したんだニャ=^_^=




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2011年7月13日水曜日

150年前の7月13日は・・・


サッカーのワールドカップ大会はまだ無かったんだ。そして69年後の1930年の今日、ウルグアイで第1回目のFIFAワールドカップが開催されたんだ。でもドイツも日本も参加してニャいね。そして今、女子の大会がドイツで行われてるニャ。女性でも男性でもやっぱりサッカーは面白いニャ!=^_^=




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2011年7月12日火曜日

150年前の7月12日は・・・


ピアニストで教育者のカール・ハインリヒ・バルト14歳の誕生日。ピアノを師事した中にはハンス・フォン・ビューローもいて、1910年にベルリン国立音楽大学のピアノ科主任教授に就任。門下生には名ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインやヴィルヘルム・ケンプがいるんだニャ=^_^=




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2011年7月11日月曜日

150年前の7月11日は・・・


工学者フランツ・グラスホフ35歳の誕生日。ドイツ最古の工業大学カールスルーエ大学の応用力学の教授で、ドイツ技術者協会(VDI、Verein Deutscher Ingenieure)設立メンバーの一人ニャんだ。伝熱現象、物質移動現象に関する無次元数「グラスホフ数」は彼にちなんでいるんだニャ=^_^=




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2011年7月10日日曜日

150年前の7月10日は・・・

江戸時代に活躍した日本の通詞(通訳)森山栄之助(もりやまえいのすけ)41歳の誕生日。1848年、偽装漂着のアメリカ人ラナルド・マクドナルドから本格的に英語を学んで、蘭・英2カ国語を使いこなせる通詞として活躍したんだ。1854年のペリー来航の際も通訳を務めたんだニャ=^_^=




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なでしこ準決勝進出おめでとう!



一瞬たりともテレビから目が離せない、白熱した好ゲームだったニャ!

試合は前後半終わって0対0。
ドイツもなでしこも互いに譲らず延長戦に。
そして延長前半も得点が入らず延長後半へ。
選手のみなさんはもう疲労がピーク。誰もがPK戦を予想した後半開始3分、丸山選手が貴重なゴールでなでしこ先制!
ドイツの再三にわたる怒涛の攻撃を全員で守りきり、ベルリンの壁を数少ないチャンスを活かし突破したなでしこのみなさん、本当におめでとう!



と、いうことはオーバーハウゼンのリトル・パウルこと2代目パウルの予想が的中したんだニャ!

ドイツの3連覇の夢はこれで終わって残念だけど、今度はなでしこの初優勝の夢を応援するニャ!

試合中は結構眠かったけど、ツイッターでみんなと応援できて楽しかったニャ=^_^=
でも、ツイートしすぎて許容数をオーバーしちゃって、最後はツイートできニャかったニャう=^_^;=

よそう2011


1年前の今日もパウルの話題だったニャ・・・
丁度開催されてたW杯南アフリカ大会のドイツ戦を、オーバーハウゼンにある水族館のタコのパウルが的中させて話題にニャってたっけ。その後パウルは亡くなったけど2代目が登場。今回も予想してるんだ。
でも予想してるのは2代目を含む8匹のタコ!?
どうして8匹かというと、水族館を経営するシーライフ社にはオーバーハウゼンの他に7つの水族館があって、そこのタコたちも天性の予言力を持つ可能性があるからニャんだって=^_^;=
そこで気になるドイツ対なでしこの予想結果をシーライフ社のホームページで見てみたニャ・・・
http://www.visitsealife.com/de/aktuelles/wer-kann-paul/wm-viertelfinale/

ドイツ南西部に位置するバーデン=ヴュルテンベルク州コンスタンツのパウラの結果は無かったけど、
ドイツ最北端の州、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ティメンドルファー=シュトランドのザミーはドイツの勝ち、
バーデン=ヴュルテンベルク州の北に位置するシュパイアーのシュテプセルは90分では決まらないと予想したけど、
ベルリンのオフィーラはドイツの勝ち、
ハノーファーのオッティはドイツの勝ち、
ミュンヘンのローラはドイツの勝ち、
そして州別の人口数は国内第1位で、日本企業も多く集まるデュッセルドルフを州都に持つノルトライン=ヴェストファーレン州のケーニッヒスヴィンターのウリもドイツの勝ち、
でも元祖パウルのいたノルトライン=ヴェストファーレン州のオーバーハウゼンのリトル・パウルは日本の勝ちを予想!

うーん、圧倒的に予想はドイツ有利だけど、本家のリトル・パウルの予想がニャあ・・・

さぁ、キックオフまでもうすぐ。
ワクワクするニャ=^_^=