2014年1月17日金曜日

ホントの被害者は誰ニャのか?



イザベル・アベディ(Isabel Abedi)さん作、酒寄進一さん訳のドイツミステリ『日記は囁(ささや)く』をようやく読了。東京創元社さんからいただいたのが昨年の11月だから結構かかっちゃった=^_^;=
2005年にドイツで出版(タイトルは『Whisper』)されて以来、帯にあるように25万部突破の話題作が満を持しての日本上陸。酒寄さんの絶妙な翻訳ですばらしい仕上がりにもかかわらず、ど~してこんなに読むのに時間がかかったんだろ・・・
最初の1ページを読んですぐに「千と千尋の神隠し」を勝手に連想、物語の重苦しさを予感させる突然の「事故」や舞台となる「村」の閉塞感とか、冒頭からミステリ感満載。
にもかかわらずなかなか読み進めなかったのは、読み始めたのが11月で本の内容が「夏」という季節のズレのせい?
それとも物語の核心に触れる場面で「え~、こんなことできるの~?」って感じちゃったから?←ネタバレしない様にしてます=^_^;=

初めのうちは本を開くたびに「眠気」が「根気」を打ち負かして連戦連勝。でもようやく半ばにさしかかった頃から、「眠気」は次第にコーナーに追いやられ、終(つい)にはノックアウト、「根気」は「好奇」に変わり、物語の展開に合わせるかのように読む速度が加速♪
「リタルダント」無しに一気にクライマックスを終えた勢いを和らげるような最後の3ページを読んだ時に漠然と思ったんだ、「ホントの被害者は誰ニャのか?」って。

ミステリに欠かせない「殺人事件」、犯人がわかってメデタシメデタシだけど、振り返ってみると「被害者」がいっぱい。殺された被害者だけでなく、事件に絡む村人も、そしてこの事件を蒸し返して巻き込まれてしまった主人公の女子高生ノア達もみんな「被害者」。そして殺された被害者には「自業自得」的な反感を抱き、逆に当時の犯人には同情の念を抱いてしまう・・・

そんな悲しみがいっぱいの物語なはずなのに、なぜか読んだあとにはレモネードのような甘ずっぱい清涼感が。それはノアと村の若者ダーヴィトの爽やかさと、物語が終わる夏の終わりの季節感から・・・

みなさんもぜひ読んでみて♪ニャ=^_^=

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