2013年6月9日日曜日

『コリーニ事件』



フェルディナント・フォン・シーラッハさん作、酒寄進一さん訳の『コリーニ事件』読了。
『紅玉(ルビー)は終わりにして始まり』(ケルスティン・ギアさん作、遠山明子さん訳)を読み終えてからもう1カ月半、遅読の上に超とスーパーが付くので、ホント「漸く」って感じ・・・=^_^;=

このドイツミステリを読むにあたって、まずこの本に関するあらゆる情報を遮断。例えばヤングジャーマニーに連載中のマライ・メントラインさんの「マライ•de•ミステリ 17ある程度ネタバレ御免:『コリーニ事件』の威力!」や、発行元の東京創元社さんのホームページは絶対見ないようにするとか、本の帯も外して「見てしまった」情報を極力忘れるとか・・・
こうして『コリーニ事件』を担当する主人公の弁護士と同じ様に真っ白ニャ状態から「事件」に向き合ったのですが・・・

(これから読む人の為に極力核心に触れず、ネタバレしニャい様に感想を書きますニャ=^_^;=)

冒頭の事件発生のシーン。そこは主人公と違って現場の目撃者となるわけですけど、その後の展開からすぐに目撃者と主人公の得る情報にさしたる違いが無いことがわかる・・・
そしてしばらくは正直言って退屈・・・=^_^;=
ありきたりの日常は特に華飾無く表現されて(それは来たるべく急展開に備えてワザとそう書いてる?!)、特にワクワク感もなくページをめくっていく日々でした。(←だから読むのに時間がかかった?!)
しかし、この本の設定(登場人物同士の関係)が次第に明らかになるにつれて、大型船がゆっくり航行を始める様に退屈な時間が緊張へと変わって行く・・・

でも、法廷での展開ははっきり言って素人目にも主人公の新米弁護士の敗北はみえみえ。口数が極端に少ない(それは弁護を望んでいない?!)犯人からは、弁護するに十分な情報が得られず、いったいこの本はどういう落とし所が待っているのかという「終わり方」にもはや関心が・・・
でも、主人公の新米弁護士が限られた情報をひとつひとつ反芻し読み解いていき、凶器の写真を改めて見直すところから話は新しい局面へ。
その後の裁判では検察側、裁判長(や読者までも)がまったく予想していなかった展開が。
そしてここから話が格段に興味深くなり左前足の本を握る感覚がかなり「薄く」感じられるあたりで、ボクは確実に今まで読んだ量と同じくらい、いやそれ以上の「続き」を確信。
「でも、これって上・下巻ものじゃなかったよニャ・・・?」
裁判は確実にそれまでの展開とは逆になり、もうボクの頭の中では新しい局面が繰り広げられ、その興味深くなる興奮がページ数の少なさに反比例する感じ!

でも、終わりからたった2ページ目で・・・



この様な題材で本を書き、またその本が売れ、社会が動く。これは全て今のドイツなのですニャ・・・

今、見返して冒頭のヘミングウェイの言葉を見つけ、読み始めたときは何気なく読み飛ばしていたこの言葉がなるほどこの事件の全てニャんだと気付かされる・・・
そして同時にバイエルン・ミュンヘンの「Mia san mia」が頭に浮かんだニャ=^_^=

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