2013年5月7日火曜日

ブラームスの肉団子


(写真:Wikipediaより)

今日5月7日はドイツを代表する作曲家のひとり、ヨハネス・ブラームスの誕生日♪亡くなってから116年経った今でもブラームスの作品は大人気ですニャ=^_^=
そして今年は、こちらもドイツを代表する作曲家リヒャルト・ワーグナーの生誕200年記念の年。(ワーグナーも5月生まれだからもうすぐ♪)
色々と調べてたら、ブラームスとワーグナーの活躍してた当時、ニャんと音楽界は「ブラームス派」と「ワーグナー派」に分かれてたみたい!?
いったい音楽家たちはどうやってこの「派閥(?)」に分かれてたのか。それは音楽スタイルの好みだけではなくて、人間関係や、派閥の長(?)の性格によるところもあるみたい・・・=^_^;=

当時をちょっと覗いてみると、登場する音楽家たちはビッグネームばかり♪彼らの音楽が今も尚、愛され続けていることからわかるように、当時は音楽の都ウィーンなどを舞台に音楽文化が花開いた時代だったんだ♪
ブラームスはちょっと気難しい感じ。でも子どもが好きで茶目っ気もあって・・・(音楽家のイメージってこんな感じかも♪)そんなブラームスを賞賛したのがロマン派の巨匠ロベルト・シューマン。そしてシューマンとともにブラームスを愛したのがシューマンの妻クララ。そしてシューマンが師事したのがクララのお父さんでピアノの指導者として名声を馳せたフリードリヒ・ヴィーク。ヴィークには自分の娘クララを筆頭に優秀な弟子が多く、近代指揮法の創始者で指揮者・ピアニストのハンス・フォン・ビューローもそのひとり。ビューローはピアノの演奏をシューマンと親交のあった当時最高のピアニストで「ピアノの魔術師」と呼ばれたフランツ・リストに賞賛されてリストと知り合い、リストの影響でワーグナー派に。そして後にリストの娘、コジマと結婚。でもコジマは後にワーグナーと恋仲となり、結果ビューローと離婚してワーグナーの奥さんになったんだ。これをきっかけにビューローは一転、ブラームス派に鞍替えしたんだって・・・



じゃあ、ブラームスとワーグナー自身はどうだったかというと、これが犬猿の仲だったみたい。だからそれぞれの影響を受けた「派閥」以外の人としばしば衝突。ブラームスはワーグナーの影響を受けてたブルックナーとも衝突してたんだ。でも心底ブルックナーを否定していたわけではなかったブラームスは、仲介者のセッティングで行きつけの「赤いはりねずみ」というレストランでブルックナーと食事。そこで出てきた肉団子が二人とも好物だったことでわだかまりが解けたんだって♪

この時食べた肉団子は、たぶん「Leberknödelsuppe(レバークネーデル・ズッペ)」。南ドイツのバイエルン地方やオーストリアの有名な郷土料理ニャんだ=^_^=
「Leber(レバー)」はレバー(肝臓)、「Knödel(クネーデル)」が団子、そして「Suppe(ズッペ)」がスープで、「レバー入り肉団子のスープ」♪



今度ぜひブラームスを聴きながら、この「Leberknödelsuppe」を食べてみたいニャ♪=^_^=

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