これはドイツの特別なあいさつの言葉。
炭鉱で働く山の男たちの願いが込められた大切なあいさつニャんだ=^_^=
作業員の方たちは毎日鉱山の地下数百メートルの作業現場へ入っていくんだけど、そこは危険がいっぱい。落盤の危険もありまさに命がけの作業の日々。
だから「グリュックアウフ!(Glückauf! – 幸運の上に→ご無事で!)」と声をかけ合い、お互い無事に再会できることを祈ったんだ。そして今もその炭鉱のあった地域ではたびたびこのあいさつが使われてるみたい。
この「グリュックアウフ」というあいさつを会の名前につけたグループが日本にあるんだ。
それが「グリュックアウフ会」。
実は昔、日本の炭鉱マンがドイツで働いたという歴史があるんだ。日本全国の大手炭鉱から選抜された日本人炭鉱マン、計436名が、日独両国政府間の協定に基づいて1957年1月から1965年3月までの8年間に7つのグループに分かれてドイツのルール地区の3つの炭鉱(ハンボルナー鉱業会社、エッセナー石炭鉱山会社、クレックナー鉱山会社)に派遣されたんだ。そしてその派遣事業が終わった後に、ドイツで働いた炭鉱マンの交歓会が開かれたのをきっかけに、この「グリュックアウフ会」が結成されたんだ。毎年欠かさず新年会を開いて今年は35回目の新年会を開いたんだって!
そして、この「グリュックアウフ会」を大切に維持してると語るグリュックアウフ会会長の北村さんはドイツ派遣の最初のグループの一員として1957年1月にドイツに渡り、3年間就労して帰国。その後再度ドイツに渡って日本からの炭鉱マンのお世話をされたんだ。
北村さんは当時の話を丁寧に語られ、また、このドイツで働いた日本の炭鉱マンのことを研究してこられたの森廣正さんの著書『ドイツで働いた日本人炭鉱労働者』を紹介。
当時の西ドイツの労働力不足の問題や、日本から派遣される炭鉱マン選抜の条件(坑内労働の経験が3年以上、身長164cmで体重56.3キロ以上で視力1.0以上で公的な健康診断に合格した者、扶養家族のない者、など・・・)、ドイツの労働習慣の違いに戸惑いながらも懸命に働く日本人炭鉱マンの様子などが書かれてて、とても興味深いですニャ=^_^=
派遣された炭鉱マンのみなさんは、当時いろいろな問題がある中でも、「ドイツの進んだ技術を修得」、「西欧民主主義の実情を体験」、「西ドイツの炭鉱労働力の不足を緩和して日独親善に寄与する」という3つの目的を果たすべく任務を遂行されたのだそうです。
もうすぐ展示が終わる大使館の壁展覧会「人が紡ぐ戦後の日独交流」に、1962年3月に派遣された最後グループの写真があるニャ=^_^=
折しもエネルギー政策が石炭から石油へと転換されていた時代、命をかけて日独親善につくされた炭鉱マンのみなさんに敬意を表さずにはいられニャいニャ=^_^=
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